ロード家 02
金色と紅色。
兄弟のとある一日が、すべてを動かした。
「剣の修行がしたいんだが、軽く空いてる所貸してくれないか?」
ある日、フレイムがオールを訪ねて、単刀直入に言った。
余りの唐突な申し出にオールは顔をしかめた。理由を聞いてみると、フレイムはただ場所がないだけなんだよと、仕方ないんだと溜め息をついて言う。どうやら深く長々しい理由があるようだ。
フレイムは直前に『信」で来訪を知ったオールに玄関で迎えられた。オールはそう長い話ではないと踏んでいたので、奥に案内する必要はないと思っていた。しかしこのフレイムの様子を見るとそうはいかないらしい。オールはフレイムを屋内に案内した。長男はお茶を出そうとしてくれたが、フレイムは笑って断った。
「いいよ、ありがとう。兄弟なんだから」
とても朗らかで、哀しい笑顔に見えた。
「…まあ、貸してやってもいいが、どのくらいの広さがいいんだ?」
客間の中央、テーブルを挟んで向かい合う長椅子の片方には、一匹の金色の狼が小さな寝息を立てていた。オールは獣、殊に狼の毛並みが好きなのだ。
フレイムは手すりに頭を埋めるようにして眠る狼の背中を柔らかく撫でた。
「どのくらい…ってかぁ…」
その狼を気遣ってか、フレイムは長椅子とテーブルの間に座った。それを見てオールも椅子とテーブルの間にあぐらで座った。
背を椅子に預けて躰を反らせると、ちょうど右肩のあたりに金色の尾があった。右手で尾を撫でながら、フレイムはあちこちに視線を移して考えている。
「そうだな、90ぐらいかなあ」
もたれかけていた躰を起こして言う。
90畳、さほど広くない大きさだが、焔族にはそれほど空き地がないのか。よほど手触りが良かったのだろう、起き上がったフレイムの右手はまだ金色の長い尾で遊んでいる。
「90畳…か。地下の練習部屋が120畳だが、子供たちと来るならそれくらいの方がいいんじゃないか?」
「いや。」
右手はそのまま、フレイムは考えるそぶりを見せず短く答えた。
「俺一人分でいいんだ」
紅い眼。暗く紅い眼。少し眉間にしわを寄せて、こちらを見ている。
是非を言わせないような、近寄り難いような、むしろ神々しさをも感じた。ただ、父親とは違う雰囲気で、むしろ普段のフレイムの、父親ほどの神々しさはないにしろ、おおらかな様子がアスハに似ているのに。
オールは無意識に「信」を張りつめた。
誰にも知られたくないような深い問題があるようだ。詮索するつもりはない。ただ、自分にはそれをする権利があると思っている。
「…そうか、なら…、それくらいの広さなら裏にある広場がいい」
「誰も使わないのか?…それからなるべく近くに誰も来ないようなところがいい」
「それほど頻繁に使わない。それに使うとわかっているなら誰も邪魔なんかしに来ないさ」
「そう…ありがとな」
フレイムにしては珍しく落ち着いた感謝の言葉だった。
悲しみなのか何なのか詳しい所は判らないが、それが障壁となってフレイムを包んでいる。
全く、読めないのだ。「信」が、使えない。視線は完全に合致している。もしかするとそれゆえに読めないのだろうか。
オールは今初めて、フレイムの“雰囲気”に恐ろしさをおぼえた。
そしてふと、あることに気づく。
「…そういえば、お前剣の修行って、一人でするのか?」
「一人で…そうだが?」
「剣だぞ?」
「…素振りとか」
オールは吹き出しそうになった。本気で言っているのか。
「笑わせるな。一人でやってどれほどの技術が身につくんだ。複数の相手がいてこそ出来るものだ」
「でも父上は一人整理することは必要だって言っていた」
「それは複数との修行を踏まえてだ」
たしかに。そう言いたげにフレイムは溜息をつき視線をそらした。いつのまにか狼の尾で遊ぶのをやめた右手でかりかりと紅い頭を掻く。
「……時間はあるのか?」
「いつ」
「今から」
またえらく突拍子もないことを言ってくれるものだ。まあでも、昔からフレイムは突拍子もない奴だったし、今頼みに来たのだから、今から早速やろうと、そういう流れにならなくはない。
次はオールが溜息を漏らした。
そして、
「…っちょっとまて、もしかして相手って俺か?」
腕の立つ奴らを呼んできて、という考えだったのに。
あるいは向こうの者も随時招いて。そうだと思っていたのに。
「違うのか?」
「――――…」
明るかった。
声が、表情が、彼の周りにある空気が。
今までの暗い面持ちが実は演技で、兄を修行の相手に無理にでもみっちり付き合わせるために、こういう状況をわざとつくったかのように、フレイムが兄を嵌めたのだと確信してしまうくらい。
立てた膝に肘を乗せて頬杖にして、笑うフレイムが、明るい。どうやらいつものハイテンションなフレイムに戻ってきたようだ。
オールは内心安心しつつも、盲点を突かれたことへの驚きが静まらない。
久しぶりだ。こんな気持ちを味わうのは幾年ぶりだろう。
自然と顔がほころぶ。するとフレイムがおっ、と声をあげた。
「兄貴のそんな顔久々に見たよ、俺」
「…え」
左手を挙げて、座ったフレイムが頭よりも少し低い位置に手を留める。
「まだこーんなちびこい時。アースが赤ん坊の時ぐらい以来かな」
「それはあんまりだろう」
笑い声が響く。そういえば、こういうふうに兄弟と笑いあったのは本当に久しぶりかもしれない。
「そういえば兄貴と剣を交えるのも久しぶりだな」
にやにやと笑って見ている。
頬杖をして、躰を乗り出して、オールの顔を、初めとは違った雰囲気で見つめている。
「ああ…そうだな」
「いけるなら兄貴、たのむぜっ。久しぶりだろっ。いいじゃねえか」
参った。これは完全に嵌められたのかもしれない。
「…まっ、今ちょっとヒマだから、別にいいがな」
「おうっ。……悪りぃな…」
急に、しめっぽくふっと笑って言った。目は変わらず笑っているのに、どこか哀しいようにも見えた。
「…いや、いいんだ」
彼のうちに眠る「信」の力が、ふと睨むように冴えはじめた。
話に聞くとフレイムには5人か6人の子供がいたはずだ。
たいがいの生物は、雌雄関わらず「不偏性体」という人間体と狂乱体を持たず、常に完全体で存在する子供を何匹かつくる。ようするに無性生殖ということだ。ある年齢を過ぎると血族の生殖法と同じように生まれてくる。つまり血族では不偏性体と普通の子供は生まれ方に違いがない。
焔族の不偏性体は狼の形だ。長子である紅秀は1年に30、長女紅知は1年に28、以下はまだだが、“子供”と呼ぶにはあまりにも多い。
そのため、少々はばかられたが、その“子供”たちを「常磐(狼)」と名付け基本的に個々に苗字はつけないとした。
まあ確かに、この地球1つの領土で養うことは難しいかもしれない。
(新しい空間があれば、)
オールはフレイムを戦闘用の広場に案内した。軽く周りを見回して、フレイムはこき、こきりと首や指を鳴らしていた。戦闘用の広場だし、今の時間帯は間食をしたり午睡をしたりしているので、周りには誰もいない。小さい音でもよく響く。
「魔法は無しなんだな?」
話を持ちかけてきた本人に尋ねた。剣の稽古、というからには魔法は関係ないのだろう。オールは愛用している墨華夜叉を抜き、鞘を地面に投げ置いた。
墨華夜叉は直刀だ。黒い柄と鞘には金とルビーの装飾が施されている。
フレイムも墨華夜叉の金属音でオールに向き直り、右手で腰に下げた2本の刀のうち1本、黒彼岸を引き抜く。
「おうっ。…『信』はほどほどにしろよ」
その切っ先を真っ直ぐオールに向けて言った。
「ああ…」
構えると、フレイムも柄をぎゅりりと、うならせた。
先に地面を蹴ったのはフレイムだった。
正面から斜めに入り、オールの左上側から大きく振りかざす。とっさに右脇の下から止めるが、黒彼岸は墨華夜叉の刃の上を滑り、あっという間に切っ先にたどり着いた。
右手がぐらついたので、自由な左手を切っ先に添える。フレイムは俄に顔を歪めて両手でよりいっそうの力を込めた。
オールは自分の足が退いていることに気づいた。押されているのだ。気迫で押されたのか、と思い、力を緩める。
とたんに勢いでフレイムは前に倒れかける。前上方へオールが飛び退くと、フレイムは右足で地面を蹴り、再び向かってくる。着地して、すぐさま左手で斬りかかった。
幾度となく打ち込み、跳ね返す。
その間、オールは手を持ち替える集中していた。急所を狙う時は直前に刃から峰に替え、剣を交え膠着状態の時は左右を持ち替える。刃を替えるのは、斬りつける直前でないと狙う場所が相手に分かってしまうから。左右を持ち替えるのは腕にかかる負担をできる限り小さくするため。
15ほど金属音が響いた後、2人はほぼ同時に剣を止めた。稽古を始めた時と同じ姿勢を取る。
違う。フレイムが、急に斬りかかるのを止めたのだ。それを読んでオールも止まり、剣を握る。
5mほどの距離を保ったまま、オールに真っ黒な切っ先を向けたまま、フレイムは微動だにしなかった。
いや、正しく表現すれば、彼は刃を跳ね返して後ろに退いた後、少し違うことを考えていたようだ。場違いなことではなく、少なからず今まで考えていなかったことをふと、考えていたのだ。それは一瞬だったが、その後は真っ直ぐに兄を見つめていた。
確かに、オールを見ていたのだが、彼は初めの彼とは明らかに違う空気を漂わせていた。
突然フレイムは剣を左手に持ち替え、少し前に屈み込み、半歩後ろに退いてオールとの距離を離していく。
オールもそれに応えるように剣を前に構え直す。
しばらくの間、足の裏が土を踏むかすかな音だけが続いた。
ほぼ同時に2人は踏みだし、再び高い金属音があたりに響く。
3度目にフレイムより早く剣を構え直したオールは、黒彼岸の刀身ではなく、フレイムの右肩を狙っていた。上から突くように振りかざし、標的と切っ先の間が拳1つもないくらいのところを見計らって峰に替える。
視界の端で、フレイムが目を細めた。
キィ!
2人の間で、3度目の快音が響く。接したままの2本の剣が小刻みに振るえている。
(あの距離で防いだか)
自分の刃が動かされる感覚はなかった。フレイムが自分の躰を動かして、刃を正確に墨華夜叉に当ててきたのだ。彼には、そんな一連の動きすら見えなかった。
内心感心していると、フレイムが口を開いた。
「本気でやれよ、兄貴」
握る左手がぎりぎりと音を立てている。フレイムの表情は、ほんの少しだったが、何かの感情で翳り、歪んでいた。それでもオールは、自分を睨む紅の眼に驚き、心わずかひるんだ。
「…血を流しすぎては稽古ではない」
父からそう教えられたので、そう信じている。しかし、
「ちゃちな稽古は飽きたんだ」
急に声が荒げた。絶妙な色を溜め込んでいた眼が、一気に怒りを露わにした。紅の炎が、弟の瞳の中で、燃える。
「フレイム…」
その弟を見つめるオールは、哀しみと哀れみと、わずかながらいらだちを覚えた。
(今俺は、いらだっているのか)
そう思うと、余計に腹立たしくなってきた。
(何故)
疑問が、強い気の流れとなり、一気にオールの躰を、
『Toformal:withdelop』
「何…?」
ふいに聞こえてきた声はフレイムのものか。フレイムを見る。彼の表情に変わりはない。長い髪の向こう、怒りをたたえた眼が、オールを見ている。
「おまえか…?」
「ああ」
訪ねた声に間髪を入れず答えた。紅の眼がひそむ。怒りは消えた。
「右手で印を結んだ。…悪ぃな兄貴」
「何だ?」
「これで兄貴を巻き込んじまう…他にコレを伝染したくないんだが…、いや伝染るような代物じゃないかもしれんが、とにかく、このことは、父上にも母上にも、誰にも言わないでくれ」
小声で、少しあざけるように目で笑う。もう、怒りの感情はその眼には無かった。
「兄貴にもかけたぜ」
にっこりと、よりいっそう目を細めて見せる。
「…何のことだ」
オールもいっそういらだってきた。眉をひそめて、剣を握る手の力を強めた。ふざけたことを口にすれば、すぐさま峰をフレイムの左肩に無理矢理にでも打ち付けるつもりだ。
「ははははは」
「!!」
フレイムは無邪気に歯を見せて笑った。
「これで本気で殺り合えるぜ」
目を見開いて、狂喜する。
左手逆手で刀の柄を握り直して、躰の前で構えて向かってくる。
(それは短剣の持ち方だ。長刀の持ち方じゃない)
左手に持ち替えて防御する。長刀というのは当然刃が長い。てこの原理で切っ先の近くの刃を止めても、その持ち方じゃ柄に近い刃は防ぎきれない。逆を止めたとしても、同じだ。凶器は相変わらず脅威のままだ。
(……ッ、)
フレイムの目つきは鋭く、深い。完全に戦闘態勢だ。体重をかけた反動で跳ね返して、また打ち付けてくる。何度か繰り返す。
「ただの稽古はもうあきた」
「ッ!?」
声が聞こえたと思えば、急にスピードが速くなった。切り返しが速くなったのか、対応しきれない。オールは、手元だけの防御しかできない。
「どうしたよ、さっきの威勢を出せよ」
低い声でフレイムが唸った。頬をゆがめて、眉間に皺を寄せる。やはり、狼なだけある。
キィイと、いやな音を立てて刃が滑る。墨花夜叉に黒彼岸の切っ先が突き刺さる。切っ先の一点から垂直に体重をかけられている。これは、刃を痛めてしまう。
「…フレイム」
これは稽古なのだと、オールはまずは自分に言い聞かせた。
「…これは実戦ではない」
しかし、フレイムは一瞬頬を引きつらせた。
「実戦じゃねえとだめなんだよ、」
再び低く唸るが、言葉は言いかけて止められた。一息飲んで続けた。そして次第に、刃にかけられる力が増していく。
「いや違うな」
鍔が音を立て、交わる刃が音を立て、互いの掌と柄が音を立て、混ざり合って雑音になっていく。異質の音がいくつも重り大きくなっていくから、普通は耳障りでない音も、これでもかというくらいに神経を逆立てる。
「実戦くらいにしないと、」
いらだちが喉に詰まって、胸焼けがしてくる。フレイムの唸り声はすでに雑音の一部だ。弟の声ではない。目の前の、狼のごとくオールを睨む弟の声ではなかった。
「収まりそうにないんだ」
不意に刀身が離れたかと思うと、振り上げられた黒彼岸が太陽の光を反射して逆行を作る。暗い影に紅の瞳が爛々と輝く。まずい、と息を飲む間もなく、黒い刃が無防備な胸板めがけて振り下ろされる。
すんでのところで墨華夜叉で止めた。
しかし右逆手に持ち替えられた黒彼岸が下から迫ってくる。タイミング良く前に突き出されたら、確実に腹にのめり込む。
刀身を倒して刃を押さえ、ついでに1mくらい後方に飛び退く。反動で懐に刃が戻る。逆手から再び持ち替えてフレイムは地面を蹴った。
オールもそれに応えて右手に構えた。駆けだして打ち込むほどの間合いはない。正面より低いところに潜り込んでくるフレイムを、見遣る。1回、2回、3回と、先ほどよりも早い調子で刃を交える。
脳が未だ現状に対応し切れていない。
「…っ」
右手から左手へ、順手から逆手へと入れ替えた刹那黒く光る刃が、そんな一瞬のとても短い時間を蹂躙しながら視界の中に現れる。幻術を見ているようだと、ふと思った。
「余計なこと考えてんなよ」
フレイムの左逆手、刃がやけに上向きに構えられる。
「集中してくれよ、」
逆光になって弟の姿をはっきりと認識できない。しかし、向けられた黒い刃は、間違いなく自分の喉元に、今にも触れようとしていた。
間、一髪だ。耳障りな高い金属音が、耳元で木霊した。
「っ、くそっ……!!」
思い切り黒彼岸を前方にはじき飛ばすと、4・5歩ほど離れて構え直した。体勢を立て直したフレイムは、ゆらりと笑って、再び斬りかかってきた。
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